fish-buddha’s diary

主にtwitterで書くには長くなり過ぎる長文をこちらに書いています。

捨てられた「捨てられる銀行」

【捨てられた森長官】

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2016年に「捨てられる銀行」という本が出版された。当時、型破りの金融庁長官として森信親氏が話題になっていたのと、センセーショナルな標題が相まって話題になったものである。

 それから2年後の2018年、森長官が地銀の新しいビジネスモデルを拓いたとして賞賛していたスルガ銀行が不正融資問題で爆発。リレバン自体も掛け声だけで特段定着しなかったことと相まって、森長官は退任に追い込まれた。

 

【誰もタダ働きはしない】

 今、「捨てられる銀行」を読んでみると、実は言っている事の大半は正しい。金融庁検査は実質膨大な時間の無駄だったし、大半の銀行が思考停止に陥りながら審査能力を喪失し、付加価値を提供しないままノルマ競争に終始して未来の利益を先食いし、銀行も地域経済も巻き込んで地盤沈下していった。この本があまりにも個人礼賛/崇拝に走り過ぎたお蔭で見えなくなっているが、その点は間違えなく変える必要があった。

 では何故リレバンは定着しなかったか。これは簡単で、リレバンには銀行の儲けという視点がほぼ完全に欠落していた。森長官は「付加価値を発揮すれば取引先は金利くらい払う」と素で信じていた様だが、これは現場にいた人間からすれば噴飯ものの事実誤認で、仮にA行が身を切ってお客様に必死にリレバンを行い、金利や手数料の形で見返りを求めれば、お客様は何もしておらず金利の安いB行に当然流れる。そういう生き馬の目を抜く現場の現実を森長官は知らなかった。誰もタダ働きなどやる筈がなというだけのことだった。

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【当時リレバンとして行われていたこと】

 朧げな記憶を辿ると、当時行内で「リレバン」と言われていた事は何かあった様な気がする。確か「お客様シート」みたいなものを作ってよく分からない文書を書付け、「何かあったら親身に相談に乗る」みたいなことを言い、そこにあり物の商品を適当に据え付けて支援?することになっていた。勿論そこから生まれた付加価値は一切無かったし、本当の企業価値向上で実際に金を取っているコンサル諸兄からしたら、幼稚園児のお遊戯会と一切区別のつかない代物だったと思う。全員ひたすらノルマを追いかけるだけで誰も企業価値向上などしたことがないので、何をやれば良いのかも分からなかったんだろう。

 

【「銀行がコンサルできる」自体は多分正しい】

 上記の様に書いてきたが、リレバンが実現しなかったのは、インセンティブが準備されていなかったからであって、構造上リレバンが不可能であった訳ではない。むしろ「捨てられる銀行」に書かれている事の大半は正しく、貸出先の経営改善を銀行がやるという発想自体は合っている。銀行は継続的に取引先、地域の情報を得ており、一定の仕事ができる人材がおり、他にやり手がいないし、何より資金の出し手として一定の強制力を持っている。人物金を投入できれば、そしてそれを回収する手段が用意されれば恐らくは実現するのだ。

 

【6年越しでリレバンが実現するかもしれない話】

 多分出資しかない。銀行が企業に出資した上で、当社の企業価値向上が実現すれば、そのものズバリメリットシェアとなり、銀行はリレバンの実現に要したコストを回収することができる。

 実際、昨年5月に銀行法の改正があり、取引先への出資規制が緩和され、それに対応する形で三菱は融資先への投資事業に着手している。ただ単に資本を投下するだけではあまり意味は無いだろうが、人物金を投下する準備があれば5本に1本は10倍にして回収できるかもしれない。

三菱UFJ銀、融資先企業への投資事業を開始へ…4月にも専門部署 : 経済 : ニュース : 読売新聞オンライン

 ここから先は霊感だが、ゴリゴリに中に入り込めており、グリップが効いて収益も出る状態になったのであれば、出資行は下位行の取引排除・独占に向かうのではないか(内容次第だが)そうした時にこのケースだと下位行に防御手段はないので、文字通り捨てられる銀行が出て来るかもしれない。そして、もしかしたら6年越でリレバンが実現するかもしれない。森長官はもういないのだが。